管理人日誌

6月13日

ひめゆり部隊の話が退屈だ、っていう入試問題で非難が出ている話を聞きました。 内容的には不適切だけど、悪意はなかったようにも思います。 べつにかばってるわけじゃないんです。 ただ、現地とそれ以外の地域がもっている、その悲劇に対する認識とか、実感みたいなものの温度差のせいでその不適切さに気がつかなかったんでしょうね。 戦争についての特定の地域で起きた事柄が、歴史的な事実という知識の範囲でしか認識されてないんでしょう。 たとえ、自分の地域が戦争の悲劇を体験していたとしても。東京でも空襲があったし、例の学校はミッションスクールということで、戦時中は弾圧を受けていたそうですから。  

6月5日

APCを見ていて、学者の実験によって被験者が傷ついてしまった状況を思い出しました。 傷つくとか、そこまで大げさじゃないかもしれないけど。   

5月25日

バーガーキングでチキンテンダー(チキンナゲット)を注文したら、星形やソードの形をしていました。 スターウォーズ3のコマーシャルをかねているみたいです。 わかりやすいのが好きな、アメリカらしい発想ですね。 最初子供用のが余ったのかな、と思ったくらいなので、キッズミール限定でやってみたら、日本でも受けるかもしれません。 ただ、ソードのほうは細長いので普通のナゲットより小さくて割高なんじゃないか、という疑いを持ったんですけれども。 どうでもいいお話でした。 

5月23日

引越しいたしました。 以前のアドレスはしばらくしたら更新不能になり、削除されるものと思いますのであらかじめご了承ください。


4月8日

某企画の関係者さま方、お疲れ様です。 どんな場所に落ち着くにせよ、うまく収まることを願います。 忙しくて更新が難しい今の私にはちょっと、人事ではないような感じがしましたし。 責任を引き受けることの重大さはもちろんあるでしょうけれども。 ただ、本当にどうしようもないんなら、無理してやることでもないんですよね。 自分が持っている時間や自己管理能力の基準は他人に当てはめられるものではないし。 書きたいから書く人と読みたいから読む人の、結局は趣味の域にあることですし。 こういうことを書くのは、内面をさらしすぎているし、自分のサイトの言い訳も含んでいる感じがしてスマートではないんですけど、某所でのやりとりをみていて思わず書きたくなりました。

4月5日

ローマ法王が亡くなって、数日は追悼番組で持ちきりでした。 キリスト教にとってもっとも重要な人物であり、個別のパーソナリティ、例えば、まれに見るイタリア以外からきたという経歴とか、世界中を回った行動力とか、東西の冷戦終結に貢献したという功績など話題が多いのもわかります。 でも、アメリカってカトリックよりプロテスタントのほうが多いんですよね、確か。 いくら現大統領がカトリック教徒だからといっても、これが大きなニュースだとはいっても、国の電波で特定の宗派に加担しているような報道を過度に流しているのはちょっと。 政府が特定の宗教に 肩入れするようなことは、憲法で禁止されていることですしね。 おまけに、レーガン氏がなくなったときと同じようにアメリカの国旗は普段の半分の位置にまで下げられていました。 これは、日の丸に黒帯をつけて掲揚するのと同じことで、国が喪に服していることをあらわすんですけど、カトリック教徒100%の国というわけでもないのに、人望や功績があるとはいえ、外国の宗教家を元大統領と同列に考えるのか、解せない思いです。

3月29日

インターネットのニュースを読んでいました。 映画版バトロワを中学の授業中見せていたのが問題になったとか。 公立につとめる教師ともあろうものが授業中に法的規制であるところのR指定違反を黙認したのは問題ですね。 いわゆる問題作と言われ、世間を驚愕させる少年犯罪が増加して、教育内容にも厳しい目が向けられるようになってきているし、 暴力シーンが単体で視聴者の攻撃性を高めることはいろんな研究で証明されてますからねぇ。 教師なら、このあたりのことは知っているはずなんですけど。 視聴者に精神的な成熟を求める、視聴者を選ぶような作品を十分な配慮もないままに流すのは、教師全体の社会的信用を貶めるばかりか、バトロワが作品としてきちんと評価されるチャンスを失うことにもつながるように思いました。 

でも一方で、社会の基準が一方的に変わってきたからなのかな、という気もするんですよね。 私が小3、4のとき担任だった先生は型破りで、学級委員や班長をくじ引きで選んだり、教科書読むな、といって作品を段落ごとに切ってばらばらにした後、内容から原文を予想して並べさせたり、教科書開いたかと思えば段落間の話を作文させたり。 

授業を脱線してしょっちゅう幽霊やホラー映画の話をしてくれたりもしました。 ”授業中”に聞いた映画について、実際に見たい子には放課後にビデオを観せてくれたりもしました。 話の流れで、大人向けの描写(性行為をほのめかす場面とかキスをしたとか、登場人物がどういう風に殺されたかとか)もありましたけど、そのあたりはうまく噛み砕いて、さらっと補足説明していたような気がします。 不真面目な教師だと思っていましたが、そんな清濁合わせたような情報に触れつつ、ちょっとずつ社会を知っていったんじゃないかなと今では思います。 普通の公立でしたけど、2年持ち上がったそのクラスに落ちこぼれや問題児がいた記憶もないですし。 

ビデオ鑑賞を許可した教師の年齢を考えると、担任だった先生と同年代なんですよね。 当時は学年一若い先生でしたけど、もう大昔のことです。 だからそのセンセイ、自分が若かった頃の感覚で許可しちゃったんじゃないかという気もします。

3月3日

多忙につき更新が滞っています。 ごめんなさい。 生存報告とご挨拶をば。


2月17日

OBRNに加えていただけるとのことです。 ありがとうございます。 とてもうれしいです。 ただ、このサイトが加わったことについて、他の方々からクレームをお受けになった場合は、遠慮なくおっしゃってくださいね。 内容からして、ここはジャンル内でも異端だと思うので。 それでも、こういったお話をいただけたり、たまに感想を寄せてくださる方があるのは、このジャンルの創作系という性質からくる寛大さとか、横のつながりの強さとか、読み手と書き手の距離の近さのおかげなのでしょうね。


2月6日

もうすぐバレンタイン、ということで、ハートやらピンク、赤をふんだんに使ったデザインのものが増えてきました。 女の子がチョコレートをあげる日、という限定的なものではなくて、大切な人たちにカードで感謝の気持ちを伝えるための日、という感じなので、バレンタイン用カードは種類もいろいろです。 恋人や結婚したカップル向けのももちろんですが、両親に向けたもの、子供、孫に向けたもの、中には"For Mother In Law"(お義母さまへ)なんてのもあります。 カードを贈りあうというの他のイベントでも多いのですけどね。 イベントの前後には家の中にもらったカードを絵の部分が前面に来るようにして並べてあったりします。コワモテの教授のオフィスに、孫娘と思しき写真や可愛らしい絵柄カードがいっぱいおいてあったのは、ちょっと驚きでした。 写真をべたべた貼ってあるのもそうですけれど、よく考えてみると、イベントごとにこれほどカードを贈りあうというのは、ハグやらわかりやすい表現を好む、かなり欧米らしい習慣なのかもしれません。  


1月27日

少し早いですが、サイトの壁紙を変えました。 このだるま、数日前に見つけて、壁紙素材としてどうだろうか、と試しているうち、なんだかこれにしなければいけないような気がしてきた、という代物です。 いつもの調子で壁紙にするように設定してみるものの、なかなかうまく表示されなくて、ここ数日、ネットを開くついでに試行錯誤をしていただけなんですけどね。 何度も見ているうちに愛着が出たのか、うまくいかないと余計それに執着してしまうという心理現象が働いたのか、おそらくどちらかでしょう。

1月24日

もうすぐ誕生日ということで、母がプレゼントを送ってくれました。 ウールのコートだったんですが、今風のデザインなのか、トレンチコート風に結んであしらうようなベルトがついていました。 結び方がよくわからなかったので、インターネットで検索してみたんですが、検索結果をみてビックリ。 コートの通販のページやらに混じって、見慣れた書き出しが載っているではありませんか。 そう、この前の日記でコートのベルトについて触れた内容が、検索に引っかかって出てきたんです。 ここはファッションについて触れたものでも何でもなく、ただ思ったことを書き綴っているだけなんですが。 メインの内容である「日記」というキーワードで検索して出てくるなら、わかるんですが、その中にある語句でさえ拾われ、他の人の目に触れることもあるんですね。 

人に何かを見せようと思うとき、それは持っているものだったり、考えだったり、いろいろあると思いますが、大抵、誰に見せるか、どういう状況で見せるか、といったことを考えていると思うんです。 でも、見る側は必ずしもこっちの思惑通りのコンディションで見てくれるわけではないんですよね。 何らかのきっかけで、見せる側が予想外のものを、見る側の前に出してしまうかもしれないし、見る側が思いがけないものを見てしまうかもしれません。 

昔、某ドラマの熱血教師が、「みちというのは、自分の首をかけて通るから道と書くんだ」と言っていました。 いつ何を見られているか分からない世界に、自分という存在をさらしながら進んでいくことを、生きることだと考えれば、香具師の台詞は妥当な説なのかもしれません。


1月20日

普段は田舎で学校と家の往復という単調な暮らしをしているので、日本に帰ったときには変わったことがたくさんで驚いてばかりいました。 ギター侍、新しいデザインのお札から地元に新しく出来た駅といった公式なものもさることながら、ベルトの結び方に特徴を持たせたコートの着方にわらぐつのような大きめのブーツ、COACHのバッグの氾濫には目を見張るものがありました。 帰国に際して、COACHのバッグを買って帰るよう頼まれたのですが、その理由は、こんなところにあったようで。 

COACHのイメージは、いい意味で地味な感じがします。 ひとめでそれと分かるけれど、布地にロゴ模様を織り込んだ柄になっているから、シャネルのバッグみたいに露骨な感じにならないし、ヴィトンやグッチほど面も割れてないし、ってな感じでまださりげなさが残っているっていうか。 誰かがなんとなく素敵なかばんをもっていて、よく見たらどこそこのブランドのものだったっていうのは、オシャレでかっこいい感じがします。 だから、さりげなくそれと分かるデザインの物が、受けているんでしょうか。 

COACHのバッグを見ていて思い出したのは、大学生のころのことでした。 ブランド品、特にヴィトンが流行っていて、どこ見ても必ず、ヴィトンを持った人がいる感じの時期がありました。 ご多分に漏れず、ブランド品が欲しくなった私でしたが、バイト代をつぎ込んで買ったのは、ロエベのものでした。 誰もが持っているあの柄を提げるのがしゃくで。 買った革のバッグに、すっきりした形でおしゃれな型押しマークが一つ。 知る人ぞ知るバッグ、という感じがして、持っているだけで違いの分かる人間になったような気がしていました。 すごく高かったけれど、丈夫で使いやすく、今だに重宝しています。 

ただ、今になって思うのは、私が人にアピールしたかったのは、そのさりげないデザインそのものではなくて、そんなさりげなくいいものを選んで持っている自分の奥ゆかしさ、趣味のよさ、スマートさだったのかもしれません。


1月18日

更新が滞ってごめんなさい。 久しぶりに原作を読み直したりして、新たな発見がありました。 生存報告を兼ねて、今更ですが、今年もよろしくお願いします。 

12月20日

更新を再開しました。 一時帰国でネット環境が変わるので、どうなるか分かりませんが、よろしくお願いします。

12月18日

TOPページがネットスケープに対応していなかったそうで、すみません。 html方式のTOPページを作りましたので、環境に合わせてご利用ください。 デザインなどは一緒です。 


12月17日

今日で試験はすべておしまいでした。 試験のあった教室を出たその足で来学期の授業の担当教官やアドバイザーの教授に挨拶に行き、教えてもらった教科書のタイトルを検索して、アマゾンや図書館で手に入るものはその目途をつけ、会えなかった教授にメールを送り、ショッピングモールで買い物をしたあとレストランで学期が終わった打ち上げがありました。 集中すれば短時間に用事は済ませられるものですね。 普段どれだけ時間を無駄にしているか、ということでもあるのですけれど。 


12月9日

タイミングの悪い日というのがあります。 ともすると、それが永遠に続くんじゃないか、という気にさせられます。 多分、単に条件がそろわないことが続いているだけなのに、うまくいっていることまで疑ってかかったりして。 悪循環のはじまりというのは、こういうときに起こるのかもしれません。 なにか、フィルターがかかったように、ものの見え方が変わってくる。 ちょっとした悪い可能性が、大きくみえてくる。 

人は時として、悪い意味で大胆な行動に出ることがありますけれど、そういう時は行き詰っていることが多い気がします。悪い状況を何とか打開しようとして、闇雲にあがいてみた結果、そういう行動に出たというパターンが結構多いのを考えると、思い余って犯行に及んだ、とかいうのは、悪循環の結果のうちの最悪な部類なのでしょうかね。 魔がさした、という言葉で表されることもありますけれど。 タイミングの合わないような状況にちょっとしたきっかけで陥ってしまうように、そこから逃れようとして魔がさす可能性のある瞬間、人生ががらりと変わってしまうかもしれない瞬間というのは、案外ごろごろと転がっているのかもしれません。




12月5日

更新には至っていませんが、デザインの変更と生存報告です。 久しぶりに行ってみたら、すこしずつ読み進めていたサイトが閉鎖されていました。 ストーリーテリングににじむ主人公のさっぱりした性格が気に入っていたので、残念です。 なくなってしまうと、挨拶をしておけばよかったかなと思っても後の祭り。何度か訪れていると、あるのが当たり前のように思ってしまうし、そこにある内容から、HPの管理人さんのことを伺い知って身近に感じてしまうけれど、決してそうではないんですよね。  ネットだといつでもどこからでもすぐにアクセスできてしまうので、距離感が麻痺してしまうというのもありますけれど。 そう考えると、オンラインのやりとりはオフライン以上に一期一会を心がけないと、後悔するものなのかもしれません。


11月27日

昨日はThanks Giving(感謝祭)という祝日でした。 正月やクリスマス並みに大きいイベントなので、七面鳥を丸焼きにして友達を呼んだのですが、そのなかの一人が、ガールフレンドが教会に寄付したことをこぼしていました。 彼女はカトリック教徒なので、二人で祝日のお祝いを言いに教会に行ったのだそうです。 彼はチェコ系アメリカ人で無宗教。 宗教は信じている人を幸せにするかもしれないけど、科学的じゃないし悪用されているから嫌いなんだそうです。 宗教みたいな根本的なものに違いがあって喧嘩にならないのかな、と思ってみたりしたのです。
さっきちょっと調べてみたら、彼の両親の母国、チェコは宗教がらみの戦争に翻弄された歴史の影響で、宗教に対する抵抗感がつよいお国柄があるらしいです。半数が無宗教のようですが、単に信心深くないというより、積極的に嫌っている人も多いのかもしれません。 

昔、ブラピが主演した"Seven Years In Tibet”という映画のなかで、中国からチベットに来た使者が「宗教は毒だ」と言ってたのを思い出しました。 中国がチベットを制圧しようとしたときに仏教の宗教的権威がその邪魔になるからです。こっちは支配の邪魔になるという理由ですが、同じ意味ですよね。 人を動かす力、というのは、民衆がわからみても、支配者がわからみても、厄介な存在なのでしょうね。


11月24日

今日のYahooニュースに、大学生の国語力低下についての話題がありました。 国内の国私立を含めた短大、四年制大学の学生を対象に国語力のテストをしたところ、中学生レベルと判断された学生が驚くほど多く、しかも前回実施の時よりもその割合が大きくなっていたというものでした。 ちなみに、そのテストをうけた日本に来ている大学院留学生のほとんどは、高校生レベルの日本語力を持っているという結果になったそうです。 国語力の話は耳にたこが出来ているし、解決法も明白なものだと思うのですが、日本に来ている留学生の優秀さには驚きました。物価が世界一高い非英語圏の日本に留学する学生は、国から奨学金を得るほどの選ばれた優等生か、教育にかなりのお金をかけられる、裕福な人たちだと思います。 その数は、彼らの国と日本の差に比例して少なくなるとも思います。 そういうエリートさんと自分を比較するのは、適切ではないかもしれませんが、自分より大変な条件にもかかわらず、自分よりいい結果を出している人がたくさんいるんだと思ったら、なんだか背筋が伸びるような気がしました。

11月16日

2,3日前からやけにばたばたしているな、と思っていた姐さんといった感じの女性がいました。 上の階に住んでいる人なんですが、今日になってやけに静かになったなと思ったら、引越したんだそうです。 引越しで思い出したのが、自分がこのアパートに越してきて、最初に部屋を見たときのことでした。 真夏だったけれど、なんとなくひんやりしていて、やけに狭いような気がしました。 家具を置いてみると、それなりにゆとりのある間取りの部屋になりました。 たったこれだけのスペースに、すべて収まってしまうんだな、と多少驚きもありました。 
あの姐さんがいた部屋も今は空室で、がらんとしてるんでしょう。 生活空間だった場所が、ただの物理的空間に戻ってしまったんだから、当たり前なんですけど。 ものを置いたり、人がいたりすると、その場所は空がなくなって狭くなるように感じるけれど、そのかわり、そこにあるものや人から、いろいろと思い浮かべられます。 ここで何をやっているのかとか、誰が住んでいるのかとか。 私が何にもない部屋よりも、多少ものがあるほうが広く感じるのは、その想像の余地の差なのかもしれません。

11月10日

恐ろしい目に遭いました。 夕食をとりに外へ出たときの事。 車を運転しながら、コンタクトをし忘れたままだったことに気がついたんです。 財布以外、全部置いてきてしまっていて、気がついたのは、店からの帰り道でした。 ひやっとはしましたが、行きは気づきもしないままにどうにかなったし、学校まではものの5分だし、いつも使っている道なので正直、なんとかなるだろうと思って右折待ちをしていました。 
すると、突然目の前に一台の車が。 ありえないんです。 一本の道路に、交差点をはさんでいるわけでもなく2台の車が向き合っているなんて。 どうやら、その車はターンした際に間違えて反対側の道路に入ってしまったらしく、私の車と対峙していたんです。
時間は帰宅ラッシュをちょっと過ぎたあたりで、場所は4車線プラスターン用のレーンを備えた大き目の道路の真ん中。車線の間には植え込みがあって、そうそう踏み越えるわけにも行かず、その車は車をバックさせるタイミングを見計らっているのでした。  やがて流れが切れたのを機に、その車は交差点の真ん中まで車をバックさせ、(!)急いで走り去りました。 その間、こっちはどうすることも出来ず、ただ黙って見守るしかなかったんですが、車が走り去った後、しばらく足が震えておりました。 事故になったらどうしようとか、その騒ぎで眼鏡なし運転がばれたらどうしよう、とか恐ろしい想像ばかりが浮かんでは消えていましたので。 何もなかったのは、たまたま車の流れが切れたからだろうし、往生している車を他の車がうまく避けて行ったからというのもあるでしょう。 眼鏡なし運転がばれなかったのももちろんそのお陰なんですよね。 一つタイミングが違えば、眼鏡なし運転でチケットをもらうことになったかもしれないし、事故に巻き込まれて眉間にしわをよせながら修理工場へ出向いていたかもしれない。 あるいは、眼鏡なんて関係なく、突然ぶつかられていたのかもしれない。 自分だけではどうしようもなく行動が規定されてしまう。 タイミングや状況にはとてつもない力があるのかもしれません。  


11月7日

更新再会しました。 ほんの1週間ほったらかしただけで、メールボックスに未読47件って。 (汗)  PCが直ったと思ったら今度はモデム。 やれやれ、 PCが直ったと思ったら今度は車がなんだか微妙だし。 機械にはよくよく縁がないようです。

10月30日

ハローウィンのパーティに持ち寄るための料理を考え中です。 日本に来たことがあるという人が結構いるので、和食を作れば受けるのかもしれませんが、結構悩みます。 ユダヤ人やヒンズー教徒がいるからなんですけど。 ヒンズー教徒が牛肉を食べられないのは知っていたのですが、 ユダヤ教も食べ物の戒律が厳しいみたいです。 豚肉は不浄とみなして食べないし、親と子を一緒に食べるような料理法、血が滴るような生ものも残酷なので駄目なようです。 そうなると、乳製品は他の料理のことを考えると使えないし、唯一使えそうな肉であるチキンを使うとなると、卵も使えません。 結局、去年作ったテリヤキチキンとスモークサーモンのお寿司しか選択肢がないのかもしれません。 
考えたら、チーズバーガー、ピザ、マヨネーズ、全部駄目ってことですね。 レストランに入るのも、異教徒と食事をするのも一仕事になりそうです。 気軽に食べられそうなのは、規制がない野菜料理くらいでしょうか。 こっちのファーストフードやレストランでサラダやベジタリアンのメニューが充実しているのは、肥満を気にする以外の理由も大きいのかもしれません。 

10月29日

モデムに問題が発生しています。 更新がしばらく出来ないと思いますが、ご了承ください。 

10月27日

気まぐれでリンクをしてみました。 この時期は人の家の庭をみるのが面白いです。  大きな道路沿いでも、柵を設けないで前庭をオープンにしている家が多くあります。玄関先に大きなかぼちゃを置いたり、お化けやくもの巣なんかを木に引っ掛けておいてみたり。ハローウィンまであと4日。もりあがってきた感じです。学校にもおそらく、変装してやってくる人がいることでしょう。 変装のためのグッズが安価に買えますし。 質はちょっと悪いけど、パーティなんかも多いし、こだわる人はどこにでもいるでしょうから、日本人がつくった精巧なコスプレグッズも案外、いい商売になるかもしれません。同じ前庭に「ブッシュ&チェイニー’04」やら「ケリー&エドワード」といった立て看を置いている家もちらほら。テレビでの批判合戦のコマーシャルも繰り返され、こちらも11月の選挙に向けて、盛り上がっているんだなと思いました。ハローウィンが過ぎたらあっという間にThanks Giving、クリスマスが来てしまう気がします。
 

10月1日

今日は大統領選の前のディベートが行われました。 自らの政策が、いかに相手よりも優れているかをアピールするために、必ず行われる選挙戦の重要な一こまです。
内政ももちろんですけれど、今はなんと言ってもイラクへの派兵がタイムリーな話題。 それに付随して、外交政策が話題の中心であったように思います。
どんどん増えている、イラクでのアメリカ人死者の数や北朝鮮の核兵器保有の事実を突きつけて、現状の政策の問題点を指摘するケリー候補に対し、ジョージ W、ブッシュは、自分の取り組んでいる仕事がいかに大変かをアピールするにとどまっている感じがしました。 発言も抽象的で、現状の問題を指摘しつつ、自分が持っているビジョンを説明してみせたケリー候補が、今日は優勢だった気がします。

内容もですけれど、プレゼンテーションしているときの態度の差は、英語が追いつかない私にもわかるくらいに明白でした。落ち着いて、わかりやすく、それでいて与えられた時間内で、言いたいことをいっているケリー候補に対して、ブッシュ大統領のナーバスで早口なプレゼンテーションは、ひどく貧弱なものに見えました。  現職ということで、過去の失策をいろいろと突かれる立場という意味では、不利なことがいっぱいあるんでしょうけれど。  来週は、私の住んでいる町で、副大統領同士のディベートが行われます。 イラクに石油会社をもっていて、私欲のために戦争をやっているのではないか、といううわさもある共和党のチェイニーVS民主党のエドワード。 チェイニー副大統領は、戦争をけしかけた張本人として、かなり人気が落ちています。このあたりは白人富裕層が多いので、共和党支持者が結構多いのですけれど、どうなんでしょうね。

9月27日

サイト管理人と、訪問者の関係について、考えてみました。 適正な距離、というのはそれぞれが自分に合っているとおもったところと、相手の思っている距離の折衷によるものなんでしょう。
いくら親しくしたいと思っても、相手あってのことですしね。 このジャンルでイベントに行ったとき、一度だけ、HP上で知り合った人と直接会う機会に恵まれました。 
そういう機会があるのとないのとでは、距離の置き方も変わってくると思います。 OFF会みたいなことをやれば、普通の対人関係とネットつながりの関係の差が小さくなるとは思います。
ただ、基本的には、対人関係と、ネットの管理人ー訪問者の関係は違うと思うんですよね。
サイトで何かを書いているとき、対人関係のように、個人情報をさらして付き合っていく関係でものを言っているのとはちがう、開放感があります。 誰かに文句を言われることもない場所で、ただ、自分が思ったままのことを、文章という形に見えるものにして、正直な自分を見ることができる、という開放感です。 そういうものを書いた場所へ訪れるお客さんというのは、私がオフでは見せない部分を知っているということになります。 言い換えれば、オフを知られないからこそ、さらせる情報もあるわけで。
そういった場所を守るという意味では、オフとオンは隔絶されているほうが望ましいと思っています。 私にとって、お客さんは物理的に遠いからこそ近い部分、本音を見せられる他人なのだと思います。
というわけで、私が管理人として、訪問者との間にとっている距離は、近くもあり、遠くもあります。

 
 
9月26日

忙しい時に限って、ほかの事をしたくなります。 今はレポートとプレゼンの準備でどうしようもなく忙しいはずなんですけど。 徹夜してレポートを2本仕上げたと思ったら、急に凝った料理を作ってみたくなったり、部屋を大掃除したくなったり。 結局時間がなくなって、レポートの質にまで気を配る余裕がなくなるのは目に見えてるんですが。 現実逃避ってことでしょうか。 とりあえず、来週は多少時間に余裕ができると思うので、更新できたらなと。


9月21日

学校にいると、言葉の問題があって、いらいらしてしまうことがあります。 もともと、苦手な英語を努力でどれだけ克服できるかに興味がわいて、英語を勉強する気になったので、人よりのみこみガ遅くても驚くことじゃないんですけどね。 初心をすぐに忘れてしまって。 イライラが気を許した相手に向けられて、自分でも客観的にみて理不尽な態度をとってしまうことがあります。 私が他人に対してそういうことをされた経験というのはほとんどないのに、厭な奴になっている。 こういうときは、早く寝て、気分転換して、また頑張ろうっていう気持ちになるよう、自分を持っていくのが一番。 宿題をさっさと済ませて、予習を頑張れば、少しは自信がもてるようになるかな。 


9月19日

前に使っていた数字のページを廃棄しました。 ファイル名をあわせて上書きすればこの今のソフトでもできることを発見したのです。 (激遅) これで混乱は収まると思います。 お騒がせしました。 


9月18日

そろそろ、来月31日に行われるハローウィンにちなんだグッズが充実してきました。 かぼちゃのモチーフが入った食器から、変装に使うマスクや衣装まで、さまざまなものが店頭をにぎわせています。日本だったら東急ハンズのパーティコーナーに行かなければ買えないようなものが、街の普通のグロッサリーストアにも並んでいるので、 祭り好きな国民性を物語っているのかもしれません。去年のThanks Giving、Easterに続いてまんまと商法にはまり、ぬいぐるみやらお菓子を買い込んだカモがここにいます。 (苦笑) 昨年、ハローウィンの当日に登校したら、魔女やらメジャーリーガーやらの格好で授業に出てくる人が結構いて驚いたのですが、それ専門のレンタル衣装もあるらしいです。 カモは決して私だけではありません。 (力説)
もともと、アイルランドの土着宗教で死者の魂を迎えるために行っていたものが、キリスト教にも取り入れられたとか。 ご先祖さまの魂も帰ってくるのでしょうか。 なんとなく、日本のお盆を思い出しました。 

9月16日

ダブっているページがあるんですけど、との指摘を受けました。 確かに。 以前のHP作成ソフトがないので、前に使っていたページに上書きできないんですよ。 以前のは数字で、強制的にアドレスを割り振られていたんですが、今は管理しやすいように、自分でURLを決められるタイプ。 いまさら数字に変える気力もないし。 というわけで、数字が入ったページは無視してください。 TOPから入れば普通に新しいものをごらんいただけると思います。 ちょっと迷惑をおかけしますけど、機械苦手なんで、ご容赦ください。


9月15日

すごく久しぶりに、コミュニティの提供している英語教室へ行ってきました。 今日はレベル分けのテストを兼ねたレジストレーションで終了。 会話のテストが一番問題なのだけれど、昨年、来たばかりで受けたときよりは断然言っていることが聞きやすく感じました。 電話の取次ぎがうまくできなかったり、少し話した後で見限られて会話を中断されたり、いろいろとあるけれども。1年もいれば、少しはましになるんですかね。へこむことは多々あるけれど、進歩したような気がして、ちょっとうれしかったです。 

9月14日

授業が午後からなので、今日はくつろぎモードです。 台所を片付けて、さあ一息と思ったところに電話の呼び出し音が。 
セールストークを避けるには、居留守を使うのが一番というわけで電話が切れるまで放置。 知り合いなら携帯番号をしっているか、留守電にメッセージを残すでしょう。 
平日の午前中、家の電話にかかってくるのは大概が勧誘の電話なのです。 その電話は2,3秒後にまた鳴り出した。 そうなったらもう、かけている相手は彼しかいません。 
ダッシュで電話をとりに行き、テンションの違う声で、私は話し始めました。

・・・なんか、いまいち彼にいつもののりがないなあ。 お前はSarasaかと聞いてくるばかりで。なんとなく一言二言話した後、極め付けに電話の向こうから聞こえてきた一言、マイク(彼の名)はもう仕事に行ったのか、と。 
そうです。 私は電話の相手を彼と間違えたのでした。 よく聞けば、声、全然違う。 私も知っている彼の友人の笑い混じりの声でした。  その後の、顔から火が出そうなことと言ったら。
なんてことだ。 「マーーーーーーーーイク、ヤク セ マシュ? (チェコ語でHow Are You)なんて甘ったるく言ってるのをを聞かれてしまった。 

バカ丸出しじゃん、とのた打ち回りつつ、ふと、思いました。 どうして私は、声の違いにすぐに気が付かなかったのだろう。
 彼が家に電話をするときは、呼び出し音を鳴らして切った後でもう一度かけることになっている。 その条件がそろっていたことで、私の中からもう、他の人からの電話であるという可能性が飛んでしまったのです。
だから、聞こえてきた声は、少々違っていても彼の声にきこえてしまったのでしょう。

いったん、こういうことだろうと判断してしまったら、人はあとに出会った状況を、自分の予測に沿うように見てしまうのでしょうかね。 例えば、微妙な違いを見落としたり、とか。 
確かに、電話口の声は、判断が付きにくい、という話もあります。 知っている相手なのに、電話越しに親兄弟と間違えられた経験とかね。 それは必ずしも、遺伝的なことだけじゃないのかもしれません。 



9月11日

今日はパトリオットの日。 もう、3年経つんですね。 一日が普通に終わろうとしていたときに飛び込んできた 非現実な映像。 確かCNNか何かで見ていた気がします。 

 
9月7日  
修理に出していたPCがようやく戻り、何とか更新ができそうです。 っていうか、もう学校が始まってまた余裕のない日々が始まっています。  それにしても、最初の修理から2週間でPCを壊してしまう私って一体。(滝汗)最初の修理をせっかく無料でやってもらったのに。 こういう管理人ですが、懲りずにお付き合いいただけると幸いです。祝日だったので、ダウンタウン近くで行われたAir Shownに行ってきました。文字通りの、アクロバット飛行のパフォーマンス以外にも、アメリカの空軍、陸軍が、さまざまなタイプの戦闘機やヘリ、戦車などを集めて、一般公開していました。実際に中に入ったり、操縦席に座ったり、写真を撮ったりできるので、博物館より面白いし、そのためか、子供たちもたくさんいて、まさに家族で楽しめるといった感じの催しでした。アメリカの軍隊って、市民にとってはより、身近な存在なんだろうな、と戦車の操縦席ではしゃいでいる男の子を見ながら思いました。 戦闘機には、(多分レプリカだろうけど)ミサイルを搭載しているので、構造がとてもよくわかります。 世界大戦中に使われたマスタングの機体には、ナチスのステッカーが7枚、星のステッカーが1枚。もう一機のほうは、ラクダのステッカーが12枚。これって撃ち落とした飛行機の数???
展示しているのが全部本物ということもあって、私にはちょっと、生々しかったです。


7月31日

大統領選挙が熱いです。民主党のケリー候補の演説を聞いていたのですけれど。 力強くて、自信に満ち溢れているような、演説でした。 大統領を目指すようなひとは、やはりオーラもあるんですかね。 政策の面で、現大統領と、違いがどれだけあるのか、よくわかりませんが、イメージはまったく違う感じがします。 今はどんぐりの背比べ状態みたいですけれどね。 もっと優勢でも、おかしくない気がするのです。 イラク派兵で、アメリカ人にも死者が出ているし、景気がよくなったわけでもない。 政権を固めているのも、お父さんのときの面子。 ケリー候補の革新的過ぎるイメージのせいでしょうか。 外交上の面からみても、変化という意味でも、George W. Bushより期待できそうな感じがするのです。 

7月30日

更新がずいぶんと、滞っていました。 ちまちま日記は書いていたのですが、PCの情報が飛んでしまって、作成ソフトを取り寄せなければならなかったのです。 結局、日本から送ってもらうのが一番だったのですけれど、ここで何とかなるなら、その方がいいかとちょっと足掻いておりました。 というわけで、これからは少しは更新できると思いますので、よろしくお願いします。

7月2日

バケーションが始まったということで、予てから気になっていたレストランへ行くつもりでした。その道すがら、彼の友達のやっているレストランへ「ちょっと顔を出しに」行ったのです。 でも、店は閉まり、いつもの楽しいおしゃべりの代わりにあったのは、彼の子息の急逝という悲しい知らせ。そのレストランの女主人は泣き崩れ、周りを囲む人々には重苦しい空気が漂っています。そのご子息とは数回顔を合わせたことがあったのでショックでしたし、彼らが気の毒でした。でも、ご子息との接点が少ないせいか、会話がチェコ語で、ところどころに知っている単語を見つけることしかできなかったせいなのか、悲しみを共有していない自分がいることに気がつきました。 とても気まずい、別の意味でいたたまれなくなりました。

家に帰り、先日届いていた荷物の礼を言いに両親に電話を入れました。両親はいなくて、代わりに出た祖母は、幸せそうに近況を語りだしました。 少し耳の遠くなった祖母は、大きめの声で、オトウトに会いに行くために新幹線のチケットを取ったんだ、と。名古屋へ行くのは生まれてはじめてだから、とても楽しみなのだそうです。矢継ぎ早に話すその口調から幸せが国境を越えて伝わってきました。 それに応じる私の顔は確かに、ほころんでいました。ほんの一時間前、泣いている人たちの中でうつむいていたのに。祖母と話すのが久しぶりだったというのもあるのですが、電話越しに聞こえるその幸せを、私は喜んで共有していました。

それぞれの人生があって、彼の友人が不幸なときに、他の人間が人生を謳歌しているのはごく当たり前のことでしょう。 でも、私が驚いたのは、それを目の当たりにしたこと、というより、個人的な関係においてさえ、周りに応じて表情を使い分ける自分、人と喜びを分かち合うことはできても、悲しみを分かち合うことからは無意識に逃げているような、そんな自分を見てしまったから。  


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一般人のなかからオーディションで優秀なパフォーマンスをしたものを候補として選び、毎週予選で少しずつ落としていって、最後に優勝者を決める、視聴者参加型番組。結構こっちで人気です。 その対象は、歌であったり、コミカルなトークであったり、はたまた将来のパートナーにふさわしい資質であったりと様々。その優勝の賞品として与えられるのは、高額の賞金(10万ドル以上なんてざら)やその特定の業界(たとえば芸能界とか)へのデビューのバックアップといった大きなチャンスです。ASAYANとかガチンコを思い浮かべていただけばわかると思いますが、候補者たちはそこで争われるであろう特定のパフォーマンスそのものだけでなく、舞台裏での緊張や不安、人間模様といった生身の部分も見せることになります。 

テレビに映っているのが同じ一般人だという仲間意識と、毎週のコンペティションに見える候補者たちの生身の部分によって視聴者は親近感が沸きやすく、番組に引き込まれやすいということでしょう。ときにはひいきの候補者を応援したりして。候補者と一緒になって、その結果に一喜一憂。 やがて、その身近に感じられる対象が優勝して、成功のチャンスを掴む。その過程は、努力と才能で一般人でも成功できるのだ、というアメリカンドリーム的なメッセージを含んでいます。視聴者は自分にそれを投影することで自らの可能性に改めて気がつき、励まされる。 優勝者は、賞金とデビューの実質的チャンスに加え、身近な存在として自分を将来のファンにプロモーションするチャンスをも得られる。 芸能界という、一般人の支持によって成り立つ業界への就職を考えているなら、これもまた大きな要素です

雲の上の存在として支持されるタイプの芸能人というより、身近で共感できる、自分たちの代表になってくれそうな芸能人。ブリトニースピアーズの安易な婚約や、タトゥの婚前妊娠に対する報道を見るにつけ、芸能人の常識や道徳を超えた情事とか性癖、思想といったスキャンダラスな部分も、必ずしもマイナスイメージに捉えられていない気がします。他の多くの仕事の何百倍もの金を稼ぎ、華やかな生活を送るイメージの芸能人であっても、パフォーマンス以外の部分でなら、優れた人である必要はないのかもしれない。 妖精といわれたオードリーヘプバーンや伝説のスター、エルビスプレスリーみたいなその存在すべてを包括してイメージがつけられた昔のセレブに対するのとは対極にある感じですね。今、芸能人とは、人格、イメージを含めた理想というよりは、成功した仲間の一人、いわば自分が達成するべき実質的目標なのかもしれない。 それだけ芸能人の権威が落ちたということなのか、生活水準上がり、一般人にも成功の機会が増えてきたということなのか、それはわからないけれど。


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